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基本的に時事ネタ、たまに趣味のフライフィッシングや自転車ネタで綴ります

サムライと武士の情け

今日はちょっと政治経済とは違う話をしてみましょう。

●<トルコ>宮崎さん忘れない…地震救援、死亡 銅像も設置へ
11年11月、トルコ東部の大地震の救援活動中に亡くなったNPO法人職員の宮崎淳(あつし)さん(当時41歳)=大分市出身=の銅像が今夏、トルコ国内の黒海に臨む「ミヤザキ・パーク」と名付けられた公園に設置される。「被災者を救おうとトルコまで来てくれた宮崎さんのことを忘れないように」と、公園がある市の市長が企画した。宮崎さんの母恵子さん(69)は「悲しみは癒えないが、遠いトルコの方々が息子の活動をたたえてくれて元気が出る」と話している。
トルコ東部をマグニチュード7.2の地震が襲ったのは11年10月。多数の人々ががれきに閉じ込められた。宮崎さんは東京都のNPO法人「難民を助ける会」の職員として被災地に入ったが、11月9日の余震で宿泊先のホテルが倒壊し、亡くなった。会に入ったのは約3カ月前で、トルコは宮崎さんにとって初めての海外支援国だった。
 銅像が設置されるのはトルコ西部のゾングルダク県コズル市。地元の芸術家が宮崎さんの顔写真を基に高さ約2メートルの銅像を制作した。昨年夏に市長と会った同県出身で福岡市在住のエンシジ・ムラートさん(36)によると、制作費を市が予算化した。市長は「東日本大震災後の報道を見て、日本人の我慢強さに感動した。その後に、トルコで日本人が犠牲になり、とても悲しかった」と話していたという。公園には既に「ミヤザキ・パーク」と書かれた看板がある。

 ◇各地の公園、診療所に「ミヤザキ」命名
 「難民を助ける会」によると、トルコでは、宮崎さんが亡くなった東部ワン市の大学内の診療所や高校の実験室、イスタンブール市の防災用の公園など、既に複数の場所に宮崎さんの名前を冠した名称が付いているという。特に被災地では宮崎さんの名前は多くの市民の記憶に残っているといい、恵子さんは「昨年5月に被災地を訪れた時に、子供たちからも『宮崎さん』と声をかけられ、胸が詰まった」と話す。
 「難民を助ける会」の堀江良彰事務局長は「宮崎さんが聞けば、照れくさがると思うが、彼の気持ちが銅像のような形で現地に残るなら、うれしい」と話している。【遠藤孝康】



(記事ここまで)

トルコと日本の歴史が関係しているのでしょうね。
トルコと言えば親日国で有名ですね。

1889年、早期の近代化を成し遂げていた明治日本に大きな親近感を持っていたトルコ(当時オスマン帝国)は、親善のため軍艦エルトゥールル号を日本に派遣しました。11ヶ月の航海後、日本の大きな歓迎の中に到着したエルトゥールル号は、トルコ初の親善訪日使節団として明治天皇に親書を奉呈しました。しかし帰途についたエルトゥールル号は途中台風に遭い、和歌山県沖で沈没し、生き残った船員が和歌山県大島村に流れ着きました。そこで村民は今まで見たこともない異国人に恐れを抱くこともなく、貧しい中で自分達の非常食を差し出してまでの献身的な救助活動を行い、69名を救出しました。そして救出されたトルコ人達は日本海軍の戦艦「比叡」「金剛」2隻によりトルコへ送られ、無事帰国することができました。この事件はトルコで大々的に伝えられ、この話は今尚ほとんどのトルコ人が知っていると言います。

 その後、トルコは日露戦争の際、ロシアの黒海艦隊が日本海へ向かうバルチック艦隊と合流できないようにボスポラス海峡を封鎖したり等の、トルコの恩返し的なエピソードもいくつかあります。その中で最も有名なのが、1985年のイラン・イラク戦争の際のエピソードです。

 1985年、イラン・イラク戦争が開始された際、多くの日本人がイランのテヘランにいました。緊急出国をしようにも、テヘラン上空を飛ぶ航空機は民間機も無差別に撃墜するという声明の中、民間機の発着数は激減し、欧米の航空会社は自国民救出を優先させた為、日本人の多くが搭乗を拒否され、200人余りの日本人が取り残されました。その時トルコ政府は日本人の救出の為だけに、戦火の中へトルコ航空の航空機を派遣し、日本人をテヘランから救出しました。トルコ政府はこのとき「エルトゥールル号のお返しだ」と説明したと言われています。


とまあ、イラン・イラク戦争の時は自衛隊が救出に行けませんでした。
これは最近のアルジェリアで発生した日本人含む人質事件でも話題になりましたね。
日本は海外で働く日本国民を救出に行けないようになっているんです。
「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」と言う主張があって。
イラン・イラク戦争の時はトルコ政府が日本人救出にトルコ航空機を派遣してくれました。
ここまではよく聞く話です。
じゃあ肝心のトルコ国民の救出はどうしたのかって思いませんか?
それがね、車で陸路を3日間も掛けて非難させたそうです。
さらに驚くのは、その後です。
普通、自国民を長時間の危険に晒して陸路で救出して他国民を航空機で脱出させた日には、国民から非難されると思いませんか。ところが、トルコでは真逆の反応だったそうです。

<実際に救出された日本人の証言>
「外国人である日本人を優遇し、自国民たるトルコ人を粗末に扱った」と報道しかねない。野党がスキャンダラスにこの件を取り上げ、オザル首相批判を行っても不思議ではない。ましてやトルコ人は熱狂的な愛国者である。
 私は固唾を呑んで事態の推移を見守った。しかし、それらは全くの杞憂(きゆう)であった。なんと、誰も問題視しなかったのである。トルコのマスコミ、そしてトルコ国民の度量の大きさに私は感銘を受けた。
 武勇で鳴らしたオスマントルコは、日本と同じサムライの国である。トルコ人は「あなたを独りにしておかない」という。困ったあなたを放ってはおかない、という意味である。「武士の情け」と同じ心だろう。

これは直接トルコ政府と掛け合った伊藤忠商事のトルコ・イスタンブール事務所長の話です。

「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」と発言する政治家や偏向報道、政府批判を続けるメディアが居る日本を見ても、かつての日本人が忘れかけている事をトルコは忘れずに継承されていると言う日本人として情けない話でした。
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by thkflyfisher | 2013-02-04 23:04 | 時事ネタ